若気の至り
読み方:わかげのいたり
「若気の至り」の意味
若さにまかせて、考えの足りない行動や無分別な行動をしてしまうことです。
勢いに任せた言動や、そのために起こった失敗についていうこともあります。
自分の若いころを振り返って反省するときのほか、若者の失敗を「若さゆえのこと」として受け止める場合にも使われます。
「若気の至り」の語源・由来
「若気」は、若者の血気にはやる気持ちや、若さからくる未熟で無分別な気持ちを指す言葉です。
ここでの「至り」は「光栄の至り」のような「極み」という意味ではなく、物事の成り行きや結果を意味します。
「若気」と「至り」が結びつき、若さからくる勢いが招いた行動や結果を指す表現として使われるようになりました。
「若気の至り」の使い方
次のような型がよく使われます。
- 「若気の至りで〜」
行動の理由として示す形です。後ろには、若いころに勢いに任せてした行動が続きます。「若気の至りで無茶をする」「若気の至りで仕事を辞める」などと使います。 - 「〜は若気の至りだった」
過去の行動を振り返って評価する形です。「あの反抗は若気の至りだった」「突然の家出は若気の至りだった」などと使います。 - 「若気の至りとはいえ〜」
若さが原因だったことを認めながら、それだけでは許されないことなどを後ろに続けます。「若気の至りとはいえ許されない」「若気の至りとはいえ度が過ぎる」などの形です。
「若気の至り」の例文
- 大学生のころ、ほとんど準備もせず海外へ飛び出したのは、今思えば若気の至りだった。
- 彼は若気の至りで上司に激しく言い返し、その日のうちに退職届まで出してしまった。
- 若気の至りとはいえ、人を深く傷つけた発言まで笑って済ませることはできない。
「若気の至り」の類似表現
若気の過ち(わかげのあやまち)
「過ち」が失敗や間違いそのものを指すため、「若気の過ち」は若さから犯した失敗を直接表す言い方です。
「若気の至り」と使われ方がよく重なり、多くの場面で言い換えられます。
血気にはやる(けっきにはやる)
若さや勢いに任せて、向こう見ずに行動しようとする状態を表します。
「血気にはやって飛び出す」のように、そのときの気持ちや行動を描写する場合に使いやすく、過去を振り返る表現に限りません。
「若気の至り」の古い用例
大久保忠教の『三河物語』には、「火をかくる事むやくとて、とめけるは、七郎九郎、若げのいたりか」という記述があります。
「若気」が「若げ」と仮名交じりで記されており、江戸時代初期には「若げのいたり」という、現在とほぼ同じ形が使われていました。
『三河物語』は元和8年(1622)に草稿が成立し、寛永3年(1626)ごろに最終的に完成したと推定されています。
参考文献・出典
- 新村出編『広辞苑』第七版、岩波書店、2018年。
- 米川明彦・大谷伊都子編『日本語慣用句辞典』東京堂出版、2005年、「若気の至り」項。
- 小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005~2006年、「若気の至り」「若気」項。
- 大久保忠教『三河物語』国民文庫刊行会編『雑史集』国民文庫刊行会、1912年。
- 国立公文書館「歴史と物語 38.三河物語」。
