六根清浄
読み方:ろっこんしょうじょう
「六根清浄」の意味
六根清浄とは、仏教でいう「六根」が迷いや執着による汚れから離れ、心身が清らかになることです。
霊山への登拝などでは、身心の清浄を願って唱える言葉としても使われます。
「六根清浄」の語源・由来
「六根清浄」は中国の故事から生まれた成語ではなく、漢訳仏典に古くから見える仏教語です。
鳩摩羅什が406年に訳した『妙法蓮華経』の法師功徳品第十九には、
「以是功徳、荘厳六根、皆令清浄」
とあり、経典を受持・読誦・解説・書写する功徳によって六根が清らかになることが説かれています。
続く常不軽菩薩品第二十には
「得是六根清淨已」
とあり、「淨」を現在の日本語の字体「浄」に置き換えれば、「六根清浄」という四字がそのまま連続して現れます。
曇無蜜多が5世紀前半に漢訳した『仏説観普賢菩薩行法経』にも
「樂得六根清淨者」や「説六根清淨懺悔之法」
とあり、六根を清めるための懺悔の修行が説かれています。
同経の漢訳は441年までに成立したとされています。
このため、「六根清浄」は後世に日本で四字にまとめられた表現ではなく、少なくとも5世紀初頭の漢訳仏典ですでに現在とほぼ同じ四字形を確認できる言葉です。
ただし、この四字の組み合わせが最初に作られた時期までは明確ではありません。
「六根清浄」の使い方
次のような形で使われます。
- 「六根清浄を得る」
仏道修行によって六根が清らかな境地に達することを述べる形です。 - 「六根清浄の境地」
「境地」「功徳」などを後ろに続け、仏教的な修行の状態について述べます。 - 「六根清浄と唱える」
山岳修行や霊山への登拝などで、唱え言葉として用いる場合の形です。
「六根清浄」の例文
- 長年修行を重ねた僧は、六根清浄を得ることを願って毎日の勤行を続けました。
- 修験者たちは険しい山道を進みながら、声をそろえて六根清浄と唱えました。
- その仏教書には、修行を通して六根清浄の境地へ近づく道が説かれています。
「六根清浄」の類似表現
明鏡止水(めいきょうしすい)
邪念やわだかまりがなく、澄みきって静かな心境を表します。
心の落ち着きそのものを述べる場合に適しており、六つの感覚・認識の働きを清めるという仏教上の枠組みは含みません。
無念無想(むねんむそう)
邪念を離れ、無心になった状態を表す仏教語です。
「何も思わない、考えない」という心の状態に重点があり、六根それぞれの清浄を示す言葉ではありません。
「六根清浄」を構成する言葉の意味
六根
「六根」は、眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の総称です。
目で見る働き、耳で聞く働き、鼻で嗅ぐ働き、舌で味わう働き、身体で触れたものを感じる働き、心で考え認識する働きを指します。
「根」はサンスクリット語の indriya を訳した語で、単なる身体器官だけでなく、その器官が持つ感覚・認識の能力まで含みます。
「六根清浄」の古い用例
平安時代の『栄花物語』「御裳着」には、
「六根清浄を得たりと覚え」
という用例があります。
『栄花物語』は11世紀に成立した作品で、この例ではすでに「六根清浄を得る」という形で、仏教修行によって得られる境地を表しています。
江戸時代の1686年に成立した『伊勢講并参宮儀式』には、
「天清浄、地清浄、人清浄、内外清浄、六根清浄」
と記されています。
この例では「六根清浄」が祓い清めのために唱える言葉の一部となっており、近世には唱え言葉としての用法も文献上に現れています。
「六根清浄」の間違いやすい使い方・表記
「清浄」は、この言葉では「しょうじょう」と読みます。
「ろっこんせいじょう」とは読みません。
「六根浄(ろっこんじょう)」という略した形も古くから使われており、誤った省略ではありません。
『古事談』には13世紀初めの「六根浄」の用例が見られます。
参考文献・出典
- 新村出編『広辞苑』第七版、岩波書店、2018年。
- 飯間浩明編『小学館 四字熟語を知る辞典』小学館、2018年、「六根清浄」項。
- 小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005~2006年、「六根清浄」項。
- 鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』法師功徳品第十九・常不軽菩薩品第二十、『大正新脩大蔵経』第9巻。
- 曇無蜜多訳『仏説観普賢菩薩行法経』、『大正新脩大蔵経』第9巻。
