酔生夢死
読み方:すいせいむし
「酔生夢死」の意味
「酔生夢死」とは、何も価値あることを成し遂げないまま、ぼんやりと一生を過ごして終えることです。
人生を無自覚に送るあり方を批判したり、戒めたりする含みがあります。
「酔生夢死」の語源・由来
「酔生夢死」は、中国・北宋の儒学者である程頤(ていい)が、兄の程顥(ていこう)の生涯と思想を記した「明道先生行状」に見える言葉です。
この文章は元豊8年(1085年)、程顥の死後に書かれました。
程顥の言葉として、次の一節が記されています。
「雖高才明智、膠於見聞、醉生夢死、不自覺也」
「膠於見聞」は、見聞きしたことに固くとらわれることです。
ここでは、才能や知恵がある人でも見聞に拘束され、自分のあり方を自覚しない状態を「醉生夢死」と表しています。
語の構成は現在の「酔生夢死」と同じ四字で、原文では「酔」の旧字体にあたる「醉」が使われています。
この一節は、のちに朱熹(しゅき)・劉清之(りゅうせいし)らが編んだ『小学』外篇「嘉言」にも収められました。
そのため『小学』が出典として示されることもありますが、現在と同じ四字の語形は、それ以前の「明道先生行状」ですでに確認できます。
「酔生夢死」の使い方
次のような形で使われます。
- 「酔生夢死の~」
後ろに「生涯」「人生」「生活」「境涯」などを続けます。「酔生夢死の生涯」「酔生夢死の境涯」などの形です。 - 「酔生夢死を~」
「戒める」「避ける」などを続けます。「酔生夢死を戒める」のように使います。 - 「酔生夢死する」
「酔生夢死して過ごす」「酔生夢死してしまう」など、動作として表すこともできます。
「酔生夢死」の例文
- 目標を失ってからの数年間を振り返り、彼は自分が酔生夢死の生活を送っていたと感じた。
- 人生の終わりに後悔しないためにも、酔生夢死を戒め、自分が本当に取り組みたいことを考えたい。
- 与えられた時間をただ浪費し、このまま酔生夢死してしまうのだけは避けたい。
「酔生夢死」の類似表現
無為徒食(むいとしょく)
「無為徒食」は、仕事などをせず、ただぶらぶらと暮らすことをいいます。
「無為徒食する」「無為徒食の生活」のように、日々の暮らしぶりについて使いやすく、一生全体への評価に限りません。
行尸走肉(こうしそうにく)
「行尸走肉」は、歩くしかばね、走る肉という意味から、無学・無能で存在価値がないとして人をあざける語です。
人物そのものへの侮蔑が強いため、生涯の過ごし方について述べる場合とは使い分けが必要です。
「酔生夢死」の古い用例
江戸前期の僧・元政(げんせい)の『艸山集』は延宝2年(1674年)に刊行され、その続集巻24「十楽詩」に「酔生夢死」が使われています。
人生が百歳に至っても自らの「来去之道」を知らない者について、
「酔生夢死、同禽獣者」
と記しています。
日本人による漢文著作では、少なくとも江戸前期に現在と同じ四字の表記が用いられていた例です。
近代では、森鴎外の『妄想』に用例があります。
『三田文学』1911年(明治44年)3月・4月に発表された同作では、
「漢学者の謂ふ酔生夢死(すゐせいむし)といふやうな生涯」
と使われています。
「酔生夢死というような生涯」という日本語の文型に組み込まれ、振り仮名は歴史的仮名遣いで「すゐせいむし」とされています。
参考文献・出典
- 新村出編『広辞苑』第七版、岩波書店、2018年。
- 飯間浩明編『小学館 四字熟語を知る辞典』小学館、2018年、「酔生夢死」項。
- 小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005~2006年、「酔生夢死」項。
- 程顥・程頤『二程集』王孝魚点校、中華書局、1981年、『河南程氏文集』巻十一「明道先生行状」。
- 朱熹・劉清之編『小学』外篇「嘉言」。
- 元政『艸山集』村上平楽寺、延宝2年(1674年)、続集巻24「十楽詩」。
- 森鴎外「妄想」『三田文学』1911年3月・4月。
- 中華民国教育部『成語典』「醉生夢死」項。
