人には正しいことを勧めながら、自分ではその教えを実行しないことのたとえ。
もともとは、患者には健康管理を勧める医者が自分では不摂生をしているという姿を表したことわざです。そこから意味が広がり、専門知識がある人や他人を指導する立場の人が、正しいと分かっていることを自分では実行していない場面にも使われます。大切なのは、単に失敗したという意味ではなく、『人には勧めているのに、自分ではできていない』という言行のずれです。
健康の話に限らず、仕事・学習・生活習慣など、教える側と実践する側のずれを指すときにも使われます。
「医者の不養生」の使い方
もともとは、患者には健康管理を勧める医者が自分では不摂生をしているという姿を表したことわざです。そこから意味が広がり、専門知識がある人や他人を指導する立場の人が、正しいと分かっていることを自分では実行していない場面にも使われます。大切なのは、単に失敗したという意味ではなく、『人には勧めているのに、自分ではできていない』という言行のずれです。
専門家や指導する立場の人が、自分自身では同じ注意や原則を守れていない場面を評するときに使います。自嘲気味に『医者の不養生になってしまった』と自分へ向けて使うこともできます。
「医者の不養生」の例文
健康管理の記事を書いているのに夜更かし続きでは、まさに医者の不養生だ。
整理整頓を部下に勧めている本人の机が散らかっていて、医者の不養生だと苦笑された。
勉強法を教えるだけで自分は復習をしないのでは、医者の不養生になってしまう。
「医者の不養生」の由来・背景
患者に養生を勧める医者が、自分では不摂生をしているというたとえから生まれた表現です。精選版日本国語大辞典では、1763年の談義本『風流志道軒伝』に『医者の不養生、坊主の不信心』という用例が示されています。
初出を断定するのではなく、現在確認できる辞書資料に掲載された古い用例として1763年の例を扱います。
患者に養生を勧める医者が、自分では不摂生をしているというたとえから生まれた表現です。精選版日本国語大辞典では、1763年の談義本『風流志道軒伝』に『医者の不養生、坊主の不信心』という用例が示されています。
辞書類では、医者が患者には摂生を勧めながら自分では不摂生であるという説明が共通しています。その意味が一般化し、他人には正論を説きながら自分では実行しないこと全般を表すように使われます。
1763年例は現時点で辞書から確認できる古い用例として扱います。『風流志道軒伝』の作品書誌もNDLで確認していますが、辞書が掲げる用例と所蔵本の個別書誌は分けて扱い、これをことわざ自体の初出・成立年とは断定しません。
1763年の確認例。初出年・成立年とは断定しない。
古い用例と用法の広がり
少なくとも江戸中期の1763年には文献上の用例が確認できます。後世には『紺屋の白袴』『坊主の不信心』などの類義表現と並べて説明されることもあります。
確認済みの根拠資料を詳しく見る
資料上の表記:醫者の不養生
1909年刊『Anglo-Japanese honeymoon = 日英新婚』のOCR全文で「醫者の不養生」を確認でき、近代には定型句として用いられていたことを示す資料となる。
英語教材・対訳的文脈での用例。
原資料・書誌を見る ↗資料の該当箇所を詳しく見る
OCR本文で確認。原画像一字単位照合は未完了のため、厳密な翻刻としては扱わない。
『ことわざを知る辞典』は寺田寅彦『蛍光板』(1935)の使用例を掲げ、物理学徒の日常用語の非合理性を論じる文脈で「医者の不養生」を引き合いに出している。医療・健康そのものではない対象を評する実例として、一般化・二次的用法を確認できる。
原資料・書誌を見る ↗資料上の表記:医者の不養生、坊主の不信心
精選版日本国語大辞典系の項目では、1763年の談義本『風流志道軒伝』に「医者の不養生、坊主の不信心」という用例が示される。これは現時点で辞書本文から確認できる古い用例として扱い、ことわざ自体の初出年・成立年とは断定しない。
辞書が掲げる古用例。成立時期の断定には用いない。
原資料・書誌を見る ↗歴史の中で意味・使われ方はどう変わった?
現代では健康管理に限らず、仕事術、勉強法、生活習慣、専門家の自己管理など、知識や助言と本人の実践が一致していない場面で幅広く使われます。
確認状況を明示し、未確認事項を確定情報のように扱わない方針です。
「最古」と断定せず、現時点で確認できる古い資料・用例として積み上げています。資料間で作者や由来の伝承が異なる場合は、複数説を保持して比較します。

