水泡に帰す
読み方:すいほうにきす
「水泡に帰す」の意味
「水泡に帰す」とは、これまで重ねてきた努力や苦労が成果につながらず、すべて無駄に終わることです。
単に失敗したというだけでなく、時間をかけて準備したことや、積み上げてきた成果まで失われた場面で使います。そのため、努力した人の残念さや無念さを伴うことが多い表現です。
「水泡に帰す」の語源・由来
「水泡」とは、水面に浮かぶ泡のことです。水の泡は形を保ちにくく、できてもすぐに消えてしまうため、古くから、はかなく消えるもののたとえに使われてきました。
「帰す」には、物事が最後にある状態へ落ち着くという意味があります。
努力や計画が、跡形もなく消える水の泡と同じ結果になることから、「水泡に帰す」といいます。
「水泡に帰す」の使い方
努力、苦労、準備、計画などを主語にして、「長年の努力が水泡に帰す」「これまでの苦労が水泡に帰した」のように使います。
失敗する可能性を述べる場合は、「計画が水泡に帰しかねない」「一つの判断ですべてが水泡に帰してしまう」といった形になります。
「これまでの努力を水泡に帰さない」のように、「努力や成果を無駄にしない」という意味で、対象を「を」で示す使い方もあります。
「水泡に帰す」の例文
- 大雨で大会が中止になり、半年間の準備が水泡に帰した。
- ここでデータを失えば、開発チームの努力が水泡に帰しかねない。
- 生徒たちの頑張りを水泡に帰さないため、発表会の日程を変更した。
「水泡に帰す」の類似表現
水の泡(みずのあわ)
意味はほぼ同じで、多くの場面で言い換えられます。
「長年の努力が水泡に帰した」は、「長年の努力が水の泡になった」と言い換えられます。「水泡に帰す」が一つの述語として使われるのに対し、「水の泡」は「水の泡になる」「水の泡となる」の形で使います。
「水泡に帰す」の古い用例
織田純一郎訳『花柳春話』には、「今や悉く水泡に属せり」とあります。1878~1879年に刊行された作品で、現在の「水泡に帰す」と同じ意味を、「水泡に属す」という形で表しています。
永井荷風の『地獄の花』には、「折角美しく保って来た其の労力が、水泡に帰した」とあります。1902年の作品で、「労力が水泡に帰した」という、現在にも通じる文の形が使われています。
間違いやすい使い方・表記
「水泡に帰す」と「水泡に帰する」は、どちらも使われる形です。
「帰する」は、「最後にはその状態になる」という意味のサ行変格活用の動詞です。「帰す」はその文語形として使われるほか、現代では五段動詞として扱われる場合もあります。
過去形では、どちらも「水泡に帰した」となるため、文中では形の違いが現れないこともあります。
参考文献・出典
- 新村出編『広辞苑』第七版、岩波書店、2018年。
- 米川明彦・大谷伊都子編『日本語慣用句辞典』東京堂出版、2005年、「水泡に帰す」項。
- 小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005~2006年、「水泡に帰する」項。
