拈華微笑
読み方:ねんげみしょう
「拈華微笑」の意味
「拈華微笑」とは、言葉を使わず、心から心へ真意が伝わることをたとえた仏教語です。
禅では特に、言葉や文字による説明を越えて、師から弟子へ仏法の真髄が伝わることを表します。
「拈華微笑」の語源・由来
禅宗の伝承では、釈尊が霊鷲山で説法するとき、黙って花を手に取り、大勢の弟子に示しました。
ほかの者がその意をつかめないなか、摩訶迦葉だけがほほえみ、釈尊は迦葉に仏法の真髄を託したとされます。
「拈華」は釈尊が花を拈ること、「微笑」は迦葉がほほえむことに当たります。
ただし、この逸話を釈尊の時代までさかのぼる史実として扱うことはできません。
文献研究では、花を示す釈尊と微笑する迦葉を結び付けた説話は北宋の禅林で形を整えたと考えられています。
1027年頃の『石霜楚円禅師語録』には
「世尊拈花、迦葉微笑」
、1030年刊の『瀑泉集』には
「拈華……微笑」
に当たる表現が見られます。
少なくともこうした初期資料では、現在の「拈華微笑」という四字が一続きの熟語として置かれているわけではありません。
現在の四字形は、説話を構成する「拈華」と「微笑」をまとめた形として定着したと考えられます。
この故事の典拠としては『大梵天王問仏決疑経』が古くから挙げられてきましたが、同経は中国で作られた疑経と考えられており、逸話の成立をこの経だけに求めることはできません。
南宋の無門慧開による『無門関』第六則「世尊拈花」では、「拈花示衆」と「破顔微笑」という形で説話が記され、宋代以降の禅宗で広く知られる公案となりました。
「拈華微笑」の使い方
次のような形で使われます。
- 「拈華微笑の〜」
後ろに「間柄」「仲」などを続け、言葉を交わさなくても意図が通じる関係について使います。「拈華微笑の間柄」などの形です。 - 「拈華微笑する」
言葉によらず相手と心を通わせることを表す形です。「拈華微笑して意を通じる」などと使います。
「拈華微笑」の例文
- 長年連れ添った二人は、視線だけで互いの考えを察する拈華微笑の間柄だった。
- 師が作品の一部を指さすと、弟子は意図を悟ったように拈華微笑した。
- 言葉を尽くさなくても理解し合える二人の姿には、どこか拈華微笑を思わせるものがあった。
「拈華微笑」の類似表現
以心伝心(いしんでんしん)
多くの場面で「拈華微笑」と近い意味で使えます。
「以心伝心」は日常の人間関係にも広く使われるのに対し、「拈華微笑」は仏教・禅に由来する文章語としての色合いが濃い表現です。
不立文字(ふりゅうもんじ)
禅で、真理は文字や言葉だけによって伝えられるものではないという立場を表します。
人と人との一般的な意思疎通まで広く指す「以心伝心」とは、使う範囲が異なります。
「拈華微笑」の古い用例
13世紀の『聖愚問答抄』には、
「拈華微笑して」
という語形が使われています。
この用例では「拈華微笑」に「して」を続け、動作を表す形で用いられており、中世の日本ですでに四字が一まとまりの表現として使われていたことが分かります。
芥川龍之介の『十本の針』(1927年)では
「『拈華微笑』の昔はもちろん」
という形が使われています。
ここでは仏教の教義そのものを説くのではなく、人の気持ちが他人へ伝わることを論じる中で故事を引き合いに出しています。
近代には一般的な意思伝達のたとえとしても使われていたことが分かります。
「拈華微笑」の間違いやすい使い方・表記
「微笑」は単独では「びしょう」と読みますが、「拈華微笑」は「ねんげみしょう」と読み、「ねんげびしょう」とは読みません。
中国の仏教文献では「拈花微笑」という表記も使われており、「花」は単純な誤字ではありません。
文献研究でも「拈花」と「拈華」の両方が確認されています。
日本語では一般に「拈華微笑」の表記が用いられます。
参考文献・出典
- 新村出編『広辞苑』第七版、岩波書店、2018年。
- 飯間浩明編『小学館 四字熟語を知る辞典』小学館、2018年、「拈華微笑」項。
- 小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005~2006年、「拈華微笑」項。
- 石井修道「拈華微笑の話の成立をめぐって」『三論教学と仏教諸思想―平井俊栄博士古稀記念論集』春秋社、2000年、411~430頁。
- 釋惠敏「『正法眼藏』與『拈花微笑』公案史料再考」『正觀』第65期、2013年、5~60頁。
- 無門慧開『無門関』第六則「世尊拈花」(『大正新脩大蔵経』第48巻所収)。
- 『聖愚問答抄』下(『日蓮大聖人御書全集 新版』所収)。
